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When I'm hanging out with you,It's the best time.

生きやすさの体現

松村北斗さん。

友達が2人しかいない。所謂オタク趣味持ち。インドア。

所謂キラキラした空間・空気・コンテンツについて、俺みたいな者が入って良いものじゃないとか言う。

音楽番組などで先輩含めジャニーズが集まった空間で無言で壁と同化し、真剣に体調や気分を心配される。

 

THE内向的。

出てくるエピソードの数々、話し方を見るに、あまりにも世間の陰キャのイメージにピッタリすぎる。

 

中二病罹患者・アニメオタクと自己申告する京本大我さんが、陰キャ趣味持ちの陽キャと仮定するなら、

松村北斗さんはそのマインドまで陰キャにカテゴライズされてしまうように思う。

 

"明るくて素直で元気"が良いことだとされがちな世の中において、陰キャという存在はその在り方からして否定されることが多い。

友達がいないからダメ、仲良くできないからダメ、全然喋らないから怖いだとか。

よくよく考えれば余計なお世話、みたいな常識が世間には蔓延っており、その被害者とも言える位置に陰キャという存在は置かれてしまっている。

陰キャなんて名付けられるぐらいなのだから...)

 

しかし、北斗くんの振る舞いは決して悲観的ではない。

友達が二人しかいないんですよ〜と自己紹介で流れるように言うことも多ければ、

俺にあんまり馴染みがないもの!?フレンズ?などと嬉々としてネタに昇華していることまである。

いや、そういうものには縁がないんで...とキラキラしたものを遠い目で見ながら、

こんなのがあって!とおよそジャニーズのアイドルから紹介されるものとは思えないコンテンツに対しての愛を滔々と、時には意気揚々と語ったりする。

(たまに、ああ、マジでそういうのが好きなんだな...とオタクの方を遠い目にさせることもしばしば...ゆめちゃんとかね...)

 

今はアニメやアイドルなどの趣味もかなり人権を得てきて、所謂陰キャだからと言っていじめられるなんてことは減っているのだろうが、

それでも、やっぱり陰キャに多いオタクという人種が人権を得ているのはネット世界が主だ。

陰キャと呼ばれるものが現実世界で何も考えずに羽を伸ばすのは、まだまだ難しかったりするんじゃないだろうか。

ましてや、あのキラキラとした芸能界において、Most of 煌めきを放つ事務所に所属し、自身も輝きを放たなければいけない環境にいて、羽を伸ばすなんて相当難しいに違いない。

 

なーんて、一般人は思ってしまうのだけれど。

彼は、自分の人と違う部分をまるっと受け入れ、肯定し、ネタに昇華する強さを持っている人だ。

そして、そんな彼の生き方を個性として受け入れ、変わることを強要せず、各々が各々として存在できる場所。

そんな彼とグループの在り方を通して、北斗くんを中心とした6人に、勇気をもらっている人も少なからずいるのではないか、と思うのだ。

 

自らのセンスに自信を持ち、尊ぶこと。

自分の苦手なものにおいて、理不尽な社会的理由による負い目を持たなくても良いこと。

自分のまま、ありのままでいて良いんだ、と。

言葉にはしないかもしれないし、自覚している訳でもないかもしれないけれど、それでも、

北斗くんの生き様、そして周りの5人の在り方によって、そんな風に肯定されているような気がしてしまう。

 

そして最近読んで、なんだかとても好きだったこの一節。

"女性のファッションについては『好きだから着ている』という気持ちが大事だと思います。それが表面に出て、魅力につながるんじゃないかな" (「GINZA」FEBURUARY 2021、松村北斗) 

 

ここに彼の生き方と、それを踏まえた他人の捉え方が出ているような感じがして好きだ。

「その人に似合っていればなんでも」という答えはたくさん聞いたことがあるが、

「その人が着たいものを着ていればなんでも」はあまり聞いた経験がない。

人目を気にして合わせすぎることを重要視しすぎない彼だからこそ、こんな言葉が出るのかな、なんて。

多様性を肯定しているようにも捉えられるこの言葉は、例えファッションの話だとしてもなんだかすごく好きだった。

 

 

好きなものを好きだと、自己を認めて堂々と生きていくことは美しい。

あの頃、陰キャと呼ばれる者(マジで友達2人しかいなかったし趣味も世代がずれていたコミュ障タイプ)だった中学生の私が、早くこんな生き方の存在を知れていればなぁ、なーんて思うぐらい、彼の生き様はとても綺麗だな、と。

ふと感じた。