「京本大我」いつもそこにあった名前
初めて存在を知ったのは、あのドームコンサートだった。
先輩に手を引かれて名前を名乗る瞬間、実は私も目撃していた。
特段何かその時の記憶を鮮明に覚えている訳でもないし、
その時のファンの反応を覚えている訳でもない。
でも、一つだけ覚えていた。
「京本大我」
その方の名前である。
KAT-TUNを好きな小・中学生時代を過ごし、
ほとんどないに等しいお小遣いでMyojoを買ってはポスターを部屋に貼り付けていた。
自分の好きなアイドルのページを熟読し、
それ以外の方のページはなんとなく流し読みをする。
ありきたりな読み方をしていた。
ジャニーズJr.のことなんて、当時同世代の男の子には興味がなかったから。
特に読み飛ばすに等しい向き合い方だった。
そんな中でもいつも見かけると、あ、この人知ってるなぁ。
と思いながら何気なく目に留めていた名前、それが「京本大我」だった。
小学生の私は母の影響で、その先10年以上を共にする趣味に出会っていた。
2004年に帝国劇場で出会ったその作品は、私にとって人生のテーマを与えてくれた。
「自由」だ。
その年に迎えた10分の1成人式では、将来の夢として「エリザベートになること」を挙げ、保護者たちの間で一躍有名になってしまった覚えもある。
歴史のレポートが出ればエリザベートについて調べ、まとめ、提出し、
ウィーンやブダペストに赴いては、彼女の軌跡を辿った。
その後も再演される度に、帝国劇場はもちろん、名古屋、大阪、博多まで遠征をして追いかけた。
そんな私にとって、人生を語る上で外せない作品。
ミュージカル「エリザベート」
2015年、新演出版が発表された。
長年務めあげたキャストたちに代わって、一体誰が、シシィに、トートに、ルキーニになるのか、固唾を飲んで見守っていた。
錚々たるメンバーに感服していた時、また見覚えのある名前を発見した。
まだジャニーズJr.なんだ、意外だなぁ。
ジャニーズが特に人気でオーディションも難しいであろう、この演目に出ることってあるんだ...
衝撃だった。
けれど、正直なところ、当時の私の心が抱いた感想はそれぐらいだった。
新演出版になり、チケット争奪戦も今までとは比にならない程、苛烈になってしまった。
もうあんまり見ることも叶わないのか。
そう落胆していた時、運よくチケットが手に入れられた。
その日のキャストはこうだった。
ルドルフ:京本大我
細くて白くて今にも消え入りそうな繊細な皇太子がいた。
母の愛を全身で感じられないと立っていられないような、そんな皇太子だった気がする。
響く声も、守りたくなるような、闇につけいられる隙を持っている心の弱き好青年というイメージにぴったりだった。
2020年1月、またもやその名前に遭遇した。
どうやら今度デビューするらしい。
「Imitation Rain」のパフォーマンスを初めて見た。
高音を轟かす、二次元から飛び出てきたかのような金髪の青年がいた。
全身全霊で想いをこめながら歌う姿に見覚えはあったけれど、
その声、その太さ、雷のような迫力と迸る繊細さを合わせ持った歌は知らなかった。
名前は幼い頃から知っているのに。
この5年間の空白を、全く知らない自分が悔しくなった。
間に合う番組は全て録画した。
YouTubeなんて普段は見ないけれど、意を決してライブ映像を片っ端から見た。
振り返ってみれば、京本大我さんのターニングポイントを運よく目にしすぎている気がする。
今となってはとても幸運だったし、だからこそ一体なぜ早く気づかなかったんだろうとも思う。
ましてやそれが、アイドル屈指の歌唱力を持つだけでなく、
礼儀正しく、慎ましく、でもここぞという時の度胸もあり、
バラエティに出ても笑いと好感度をどちらもかっさらっていく、
推しグループのメインボーカルなのだから、そんな幸運、そうそうない。
私が違う方向を見ている間に、計り知れないほどの努力と、
途方もない苦労をされたのだと思うけれど。
これからこの素晴らしさがどのように世に広がっていくのか、
一体何をしでかしてくれるのか、
今はリアルタイムにほぼ近いところから見届けることが出来る喜びを噛み締めて。
実は私がSixTONESを深く知るきっかけを作ってくれたのは京本大我さんだったという事実も記録に残しながら。
何よりご本人の幸せを勝手ながらお祈りしつつ、
今日という記念日をお祝いしたいと思います。
京本大我さん、お誕生日おめでとうございます。
珀
P.S. あまりにもチケットが激戦でルドルフ役が誰かなんて選べる余裕もなく、その後も興味はありつつも、これが最初で最後の京本ルドルフになってしまったのが残念でしたねぇ。次の演目を心待ちにしています。