666

When I'm hanging out with you,It's the best time.

"リバティ"という言葉によって1年越しに沼落ちの理由がわかった話

よく沼落ちブログを書かれている方がいて、私はそれをとても興味深く、そしてその度に別の方からの目線で捉えられた彼らの魅力を知って愛が深まるのだが、自分自身はそれを書いたことがなかった。

というのも、具体的にどこで何を見た時に落ちたんだっけ?

という記憶が非常に薄いのだ。

 

音楽番組でトークをしている彼らを見て、デビュー期プロモのはずなのになんなんだ、このバラエティ慣れしたトークは...

そして人を陥れるトークが苦手そうなんだが、なんなんだ、この結局人の良さそうな6人は...

と思って興味を引かれたところに、ダメ押しの「Imitation Rain」

さっきまでの明るく朗らかで楽しいことが好きそうな6人が、

急にこの世の暗い現実を瞳に映しながら哀愁を漂わせ、

でもそれに負けることなく、最終的には闘う意志を全身から放ちながら周りを圧倒する姿。

一体、この人たちは今までどんな歩みをしてきたのだろうか?

そう思って、YouTubeに手を伸ばしてしまったのが始まりだった。

 

私の沼落ちの記憶といえばこんなものである。

薄............

(しかもそれなりにジャニーズ通ってきちゃってる...かつ→キス→すとの系譜を順調に辿ってしまっている素直型...)

 

そう思って特に書かずにいたけれど、ジャニーズをそれなりに見てきたからこそ、あの時漠然と

おいおい一体なんなんだ!このデビューしたてに似つかわしくない雰囲気と能力は!

と感じて惹かれてしまった気持ちの理由が遂に解明される時がきた。

 

"自由を履き違えたくない。フリーダムじゃなくてリバティなんです。自由には責任が伴うということを理解したいですね。"(田中樹、「CUT」JANUARY 2021より)

 

この言葉を読んだ時、最初はさすが樹ちゃん、かっこいいこと言うな〜すごいな〜

ぐらいの気持ちだった。

フリーダムとリバティの違いなんて考えたことがなかったし、英語の知見もないし、有識者によって語られる言葉の違いを見て、ほえ〜と感動することしか出来なかった。

 

それがここ最近に出た雑誌やテレビの中で、彼らのJr.時代を含めた歩みがより詳かに明かされる機会や、音楽への向き合い方をより深く知る機会が増えた。

その中で、この"リバティ"という言葉へたどり着くまでの歩みも見つけた気がする。

 

ー「この星のHIKARI」について

"唯一自分たちで選んでない曲なんです"(髙地優吾、「CUTJUNUARY 2021より)

 

2015年にグループを結成した6人に初めて与えられたオリジナル曲「この星のHIKARI」

この曲を最後に、彼らはほぼ全ての楽曲を自分たちで選んでいるという。

今回のアルバムも表題曲以外は彼らの意見が反映されているというのだから、その自由度は、デビューして初めてのアルバムにしては高すぎるのではないだろうか。

(今まで私が追ってきたアイドル達は関わっても、ソロ曲・ユニット曲くらいだった覚え...)

 

彼らは、彼らの手にしていた自由に対して「放任されていた」という言葉を使うことがある。

もしかしたら最初はそうだったのかもしれない。

けれども、彼らが自由にやるということの重みを自分たちで理解できる人たちだったからこそ、ある程度口出しされずにいたのではないかな、なんて。

しかもその期待に応えたからこそ、今も信頼という形で自由が継続されているのではないか、なんて。

そして、自由にさせてもらえることの意味を自覚した時に、

「良い意味で自由にやらせてもらっている」

という言葉が出るように変わっていったのではないか、なんて。

当時を知らないからこそ言えるし、結果論なのかもしれないけれど、

でも、私はそう信じたくなってしまう。

 

私が彼らの音楽やパフォーマンスに感じているものって「生き様」が一番近い。

初めて見た「Imitation Rain」で、彼らの今までの歩みが気になって仕方がなくなったこともそうだ。

結局あのパフォーマンスの裏に何があるのか、

あんなパフォーマンスが出来てしまうってことはそれなりに何かしらの経験があるんだろうな、

と思わされたからこそ、つい、検索してしまった。

彼らの選ぶ音楽を心待ちにしてしまうのも、彼らの感覚への厚い信頼故。

あんなに個性豊かで普通には交わらなかったであろう6人が、彼らの人生経験を踏まえた上で、SixTONESとして選び取ったアウトプットを。

そこに込められたSixTONESとしての生き様を。

そしてSixTONESとして打ち出すからには、その責任を。

6人全員が、全身全霊で取り組むという責任を果たしている様をそこに感じてしまう。

 

彼らは自分たちの持つ闇を隠して、キラキラを届けるのではなく、

闇も打ち明け見せた上で、さらに高みを目指す姿を言葉と行動で見せてくれる。

そして闇を表立って認めることを選んだからには、誰一人見捨てず、置いていかずに、連れて行くと宣言する。

そうやって、自分たちと自分たちを応援してくれるファン双方への責任感を持って、

理不尽には立ち向かい、超えられない困難には抜け道を作りながら進んでいく。

 

あの時は検索してホイホイ付いていってしまったけれど、あの番組を見た時点で、何となくそういう人たちだって空気を察知していたのかもしれない。

バラエティ番組のトークで一切甘えることなく、しっかり番組を成立させるために自分にできるトークやギャクを恥ずかしがらずにやる姿。

いくら面白くても、人を貶めるようなことからは距離をおく、危機察知能力と品の良さ、礼儀正しさ。

そして兎にも角にも、圧倒的な存在感・表現力・歌唱力によって周囲の空気ごと全てを自分たちのものに掌握していくパフォーマンス。

やるからには最上級のものを、と何に対しても決して甘えることのない姿。

自由が故の責任について、グループ結成時から向き合ってきたであろう6人の成熟した精神が節々に表れていて。

そんな彼らに私は惹かれたのだろう、と。

やっと今、わかった。